キューブラー・ロス 人らしい死を求めた生涯
終末期の医療において、いままさに生を終えようとしている患者の言葉に耳を傾けないことに強い違和感を感じ、死ぬこととはなんなのかという課題に直面した。
死を学ぶ重要性を多くの医学生や看護師に投げかけ、学ぶ機会をつっくってきた。
誰も語れないと思っていた死について、患者はありのまま話し始めた。その様子をみて
死にゆく人の心のケアを医療の課題とし取り組んでいった。
動画は50分10秒ありますので、時間のあるときにご覧下さい。
生涯をもって理解する生きるとは死ぬこととはに向き合えるそんな大切な時間になると思います。
『死ぬ瞬間』
重要なのは 共感である。
命を終わりを支える医療を目指す
どうしたら我々は彼らの助けとなれるのかを考え続けている。
自分の死について考えたことがあるか
最後のレッスン
~キュブラーロス かく死せり~
死を学ぶことの重要性を意識させた
誰も語らない領域に踏み込んだ
良い医師の条件とは・・・
命を救うことだけではない。
死にゆく人の心のケアを医療の課題とした
書籍
死ぬ瞬間
有名な5段階の表現の中において
否認
怒り
取引
抑うつ
受容
という段階がある。
しかし、医療者は決して
患者さんを安らぎや受容へ導こうとしてはいけない
それは有害であると言っている。
大切なのは、ありのままにうけれるようにすること
表現を受け止めるものとして、ただそばにいることが大切です。
「ライフレッスン」(2000年)において
長く不自由な晩年のことを書き表した書籍である。
人生とは困難な学ぶべき課題であるとした表現が一貫して語られています。
動画の中でも、キューブラーロスは体が不自由なことに対して、
死にたいと願ったといいます。
死を願ったが死ねなかった
学ぶべきレッスンがあったと。
そのレッスンとは
「どうしたらもっと自分を愛せるかどうかを学ばなければならない。」
とするものでした。
他人の世話をするのではなく
世話をされる自分を受け入れること
これが、ロスにとっての最後のレッスンであった。
愛を与えること 愛を受け入れること
ライフレッスン
それは、自分にありのままにいることを学ぶことなのかもしれない。
悲嘆について
忍耐を学び、愛を受け取ることについては難しい
最後に受け取るべきアイとは
愛とは?とキューブラー・ロスに尋ねると
言葉にできない。
あなたにあれば理解できる。
あなたになければ理解できない。
とだけ言った。
愛とは共通するものでなく、理解するものでもなく、説明するものでもないのかもしれない。
何か言葉に表すと消えてしまうようなものなのかもしれないし、
幸せと置き換えるそんな簡単なものでもないのだと感じます。
それが理解できなければ、受け取ることは確かにできないですね。
人間らしい死をもとめその生涯を終えた。
墓石には
「喜びや悲しみを分かち合う友人、教師、そして自らも一人の生徒であった
人生を終え、今銀河でダンスをしている」と掘られている。
人生を終える
人としての生を終える
死後の世界がどうなっているかはわからない。
もしかしたら肉体を失ったあとはさらに素敵な世界に行けるのかもしれない。
ただ、その世界にいけるものは
ライフレッスンを終えたものだけなのだろう。
緩和ケア病棟で患者さんとコミュニケーションをとらせていただいています。
自分で体験できない体験をしてる人は年齢に限らず先生である。
看護師は患者を敬い、その体験に対する教えをこうべきである。
と私は考えます。
あるがまま、その人を受け入れること。
あるがまま、いきたいと願うその人の願いを支えること
それが唯一できることなのかもしれないです。
いろいろ考えさせてくれる映像でした。
ちゃんと、書籍をもう一度読みたくなりました。
●キューブラー・ロスの著書について